No.1194550

焼き芋、焼き鳥、焼き虫

新人さん

10月13日は埼玉県川越市で活動する「川越いも友の会」が1987年に制定 した「さつまいもの日」である。稲作をする前の縄文人は里芋が主食だったそうだ。だから本来日本人が「いも」というのは、里芋か山芋(自然薯・長芋)のことらしい。しかし今では「いも」の意味するところは サツマイモとジャガイモに変わってしまった。里芋は東南アジアが原産のタロイモの仲間だが、サツマイモの原産地はジャガイモと同様に中南米とされていて、日本には江戸時代になって中国から伝わったそうだ。空芯菜(昼顔)の仲間であるサツマイモは“根“が肥大した塊根(かいこん)で、タネにしか毒は無いから芽や茎もすべて食べることができる。しかし茄子やトマトの仲間であるジャガイモは“茎“が肥大した塊茎(かいけい)で、芽や未熟な部分には毒があるから食べられない。 さつまいもは熱帯系だから北海道で育てるのは困難らしい。北海道の父は戦時中の食料難の頃は、いつも弁当はジャガイモとカボチャだったというが、東京で暮らす僕は 妻にいじめられた日の弁当は、蓋を開けるとサツマイモだけだった。あはははは。 サツマイモは長崎の種子島を中心に薩摩藩が栽培を進めていたので「薩摩芋(さつまいも)」と呼ばれるようになったという。 川越街道の埼玉県三芳町の標識板にはこのように書かれているらしい。『九里四里(栗より)うまい十三里半」という川越イモの特徴を誉めた言葉がある。旧川越街道で川越の大手前(川越市役所)から日本橋までの距離は11里34町33間半(46.93km)で、2里(8km)ほど短いが、生産地の三芳と集積地の川越の距離を合わせると13里半となり距離も一致する。』 江戸に焼き芋屋が現れた頃のキャッチコピーは「八里半」だったそうだ。味がクリ(九里)に似ていて美味しいという意味のようだ。現代のサツマイモは そのままでもスイーツ並みの高級な味になっているが、江戸時代は栗より少しだけ劣っていたらしい。 江戸の町々には交番と消防署を合わせたような木戸番屋というものがあったそうだ。そこで働く木戸番の賃金は少なかったので、焼いも売りや金魚売りなどを副業にしていたらしい。そのうち木戸番は火の扱いが上手いだろうということで、焼きいもが木戸番専売のようになったらしい。1シーズンの売上げは多いところでなんと200両、少ないところでも20~30両はあったという。現代の価値にすると、わかりやすく1両が10万円として最低でも副業で200万円、トップセールスマンは2千万円も稼いでいたことになる。恐るべし焼き芋である。 1732(享保17)年の餓死者 1万2000人、死畜14000頭も出した享保の大飢饉があったとき、薩摩からサツマイモを持ち出し人々の命を救ったという下見吉十郎(あさみ きちじゅうろう)という僧侶がいたそうだ。また島根県の石見銀山では、井戸平左衛門(いど へいざえもん)という代官が飢饉対策に僧侶を薩摩に送り込みサツマイモを持ち帰らせたと言われている。当時の将軍徳川吉宗も青木昆陽(あおき こんよう)にサツマイモを栽培させ、人々の命を救ったらしい。20世紀になっても戦中・戦後の食糧難の時代にサツマイモが活躍している。 2026年夏も日本の食料自給率は38%しかないが、米とサツマイモの自給率は、ほぼ100%あるらしい。 サツマイモは乾燥や高温にも強く、台風などの自然災害にも比較的強いらしい。つまり、サツマイモは日本を救うのだ! ただしタンパク質は絶望的に不足するから、文明が崩壊したらサツマイモだけではなくて、虫とか貝とかも食べてタンパク質を補給するんだろうな。 ディナーは焼き芋と焼き虫・・・・とか。

2026-10-13 14:19:19 投稿 / 734×550ピクセル

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