権力への意志批判
権力への意志というものが仮にあるとする、権力とは現実的な社会力であり、意志は精神である
因子というものがあるとすれば、「権力への意志」因子であり、因子によって、より高い所に行くという事になる
…高い所、高い場所とは、因子も同時に移動するという事であり、因子は内部にあり、外部にはないという事になる
やはり、「権力への意志」は精神であり、因子とともにあり、それ自體、高く、強くなって行くという事である
「権力」因子というものは、社会の即現実の力にあり、人間の内部のものではない
「意志」因子というものは、人間の中に断固存在するものであり、存在する事、ゆえに、因子というものは存在する必要がない
…よって、「権力への意志」因子は存在しない 権力への意志自體が、人間の中で断固として存在するからである 人間が人間の中に「権力への意志」因子を作る必要がないのだ
……したがって、権力への意志は批判不可能なものである
運命愛批判
・・・・・・・
権力への意志よりむずかしい概念に当たるのが、運命愛である
…と言うのも、運命愛を否定する事は、「物事を肯定する事」そのものを否定する事になり、いわゆるニーチェの言う「因果の解釈」、つまり、「物事を肯定的にとらえ、知的にそれを片付けようとする」、その国家からの「追放」が、運命非愛の肯定、運命愛の否定とイコールなのである
……よって、運命愛の否定、および、批判はやはり不可能、立場上出来ないのである 読者にもそれは当てはまる事かも知れない
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